みなさんは『コミュニケーション』を別の言葉で伝えてくださいと聞かれた時、すぐに回答ができますか?
では、『コミュニケーション上手な人』とは、どんな人を指すのでしょう。
私たちは当たり前のように『コミュニケーション』という言葉を使っています。
「私はコミュニケーションが下手だから・・・」という人は、何をもって下手だと言っているのでしょう。
改めて『コミュニケーション』って何ですか?と言われると、すぐに答えられる人は少ないと思います。
『コミュニケーション』とは、自分とは違う価値観を持つ人の意見や言葉を認めて、受け止める。
そして、自分と相手との価値観の違いに向き合い、探り合って、離れていたお互いの価値観をすり合わせて近づけていく行為を指します。
この世の多くの人が悪気なく自分の考える常識が世の中の常識だと思い込んでしまっています。
だから、「この人とは合わない」「なぜ、あの人はそんなことを言うのだろう」
こんな風に、自分の考えと違う言動をする人に対して抵抗を感じてしまいます。
しかし、そもそも私たちは誰一人同じ考えを持っ人はいないんです。
もし、互いの価値観や考えが完全に一致しているのなら、コミュニケーションは必要ありません。
例えば、部屋の掃除を頼んだ相手が、
「終わりました」
と報告してきたので、その部屋を確認してみたところ、自分の基準よりあまりにも掃除がいいかげんで不十分に感じてイライラしたり怒りがこみ上げる。
でも、相手にとっては自分なりの基準で『きちんと』掃除が出来たと思っているんです。
何が問題かというと、そもそも自分の『当たり前』は相手にとっては『当たり前』ではないということです。
私たちは生まれた環境や育ってきた過程、関わってきた先生や友達、そんなキャリアの中で積み上げてきた経験から価値観は作られていきます。
例え同じ環境の双子であっても、全く同じことはありません。
自分と相手は違うということをいかに認識しているかで、怒りの沸点はかなり変わってきます。
そして、相手に歩み寄らなければ分かり合えないという事に気が付きます。
恋人関係や夫婦関係においても、出会った当初は自分にはない考え方や価値観が魅力に感じていたのに、慣れ親しんでいくうちに、自分と違う意見を言う相手に対して腹立たしさを覚えてしまうのはなぜでしょうか。
それは、特に親しい間柄だからこそ、自分と同じ価値観を共有していると勝手に思い込んでしまうからです。
『自分と相手は違うという前提で関わること』
まずはこれを忘れず、相手と関わっていただきたいと思います。
コミュニケーション研修をしていると、受講生から、
「私は忙しくて、職場の人と話をする時間がありません。」
という声をよく耳にします。
コミュニケーションは、相手と関わる時間ではなく、『回数』の方が重要です。
例えば、朝の挨拶だったり、すれ違いざまの声掛けだったり。
細目に相手に声をかけることが、「あなたのことをよく見ていますよ!」というメッセージになります。
私たちは誰しも『承認欲求』があります。
承認欲求とは、自分を認めて欲しい、大切に思って欲しいという欲求です。
普段は声掛けが少ないのに、「悩みを話して」といっても、相手は心を開くことはありません。
しかし、普段から声掛けをしていれば、自然と相手から歩み寄ってきてくれたり、問いかけに応えてくれます。
どんなにコミュニケーションを苦手としている人でも出来る、挨拶と声掛け。
明日から、ぜひ取り組んでいってください。